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Channel: [BLOG] –くれぴん
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初七日を過ぎ

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4月5日。
ナル方の祖母が他界した。

満88歳、数えで90歳だった。



20年ほど前、
余命僅かと告げられたのが嘘かのように
わたしと知り合ってからも色んな場所へ旅行に行った。

祖母が所沢の病院に入院してからは
父・母・叔父・わたしが揃う隔週の日曜日に
欠かさず見舞いに行った。

記憶がはっきりしている日もあれば
夢と現実がごっちゃになって会話にならないときもあり、
眠ったまま目を覚まさないこともあった。

入院してからわたしのことは忘れてしまったようだけど
それでも、忘れてごめんねと言いつつ話をしてくれる祖母や
普段バラバラに生活している家族が顔を合わせるきっかけとなる
この見舞いが特別な物に感じてわたしは満足していた。



訃報を受けたこの日も
そんな祖母の見舞いから帰った丁度そのときだった。



ここ数ヶ月は食事ができず
点滴だけで暮らしてきたこともあって
皆、絶望感というよりも来る時が来たと
静かに受け止めていたようだった。

特に心配だったのは母や叔父のメンタルだったけど
この日に重なった偶然に感謝していたほどだった。



普段は仕事ナルがこの日は休みだったこと。
ナルの運転だったおかげで祖母が熟睡する前に会えたこと。

そして、
いつもは半ボケで会話もままならない祖母に
ダメ元で「母と叔父が来たよ、分かる?」と問いかけると
「分かるよ」と答えてくれたこと。

もちろん悲しくないわけではない。

出会って数年のわたしよりも周りの親族は
良いことも悪いことも含めてもっとたくさんの思い出があり
悲しみは悲しみとして胸の中にある。

けれど、ただ悲しいだけではなく
最後に特別な時間を過ごせたことは素直に嬉しかった。



告別式で
「人は産まれるとき、その両手に夢を握りしめて誕生する」
と説明された。

祖母は戦争も経験していて
決して幸せだけの人生ではなかったと思うけれど
それでも少しは夢を叶えられたのだろうか。



別れは必ず訪れる。

それが早いか遅いかは誰にも分からない。
永遠に続く生などなく、もしかすると大切な人を
明日失うことになるかもしれない。

別れを経験すればするほど
不安や寂しさが少しずつ増していくと共に
限りある時間を、大切な人に費やしていこうと思える。

おかしな話だけれど
人は、別れを乗り越えるごとに
人間らしくなっていくものなのかもしれない。


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